ミコノが行った支援内容

 

 * 被災地から各避難所及び、避難所から第一、第二の各移住地への人及び家財道具の移動支援

   7トントラックで計57往復 約1000世帯

 

    避難所(ヤングモスリム)でのビニールシート配布

   1回 2.5m×4m×350枚  計4900u 260kg

 

    新しい移住地への水配給

   2回 計12000リットル

 

    第一、第二移住地へのパイプライン建設工事

   計 2750m

 *  第二移住地でのトイレ建設の支援




                   洪水レポート  
     

水配給
避難所となった小学校
ビニールシートの配布
家財防具の運び出し
水没する土壁の家
浸水したガリッサの町
 ガリッサでは1年のうち2度の雨季を除いて、ほとんど全くと言っていいほど雨が降らない。つまりこの2回の雨季に降る雨に1年間の生活がかかっているといっても過言ではない。

 現在、我々の住んでいるところは幸いに水道を引くことがで きたので生活用水に困ることはなくなった、しかし水道が来ていない地域、引くためのお金がない家庭などは毎日の生活用水にも事欠く、しかもこの地域の人々のほとんどが家畜を飼育することによって生業とする人々である。
 牛、ヤギ、らくだなどの家畜の数がそのままその人の財産を意味する。

 多くの家畜を飼うにはそれだけの牧草が必要なのだが、常夏のガリッサでは雨の量がそのまま牧草の量につながる。つまり年2回の雨季に降る雨の量が彼らの財産の維持に直結するのである。

 しかしここ数年は雨季に降る雨の量が十分でなく、旱魃状態が続いていた。旱魃になると家畜を失い難民化する人々も出てくる、運よく失わなくても維持するのが難しいため、みなが手放したがり家畜の相場が崩れて大損をすることになる、そんな状態が3,4年続いた。

 しかし年2回の雨季のうちの小雨季に当たる2006年11月いきなり大雨がふった、もちろんたくさん雨が降ることは大歓迎である、おかげで今まで赤茶けていた大地が一面緑に覆われた、しかしそれが何度も続くと話は違ってくる、もともとやせて緑の少ない土地は保水力がなく、ある一定の雨量を超えると一気に川となって表面を流れていってしまう。
 その流れはガリッサを流れるタナ川に集まり、11月17日深夜にガリッサの町に避難勧告が出された。

 18日の未明には上流のダムが限界を超えタナ川は一気に川幅を広げ、明け方には付近の家や、畑を飲み込んでしまった。

 数年続いた旱魃の後に大雨が降る、1997年エルニーニョと言われた年と同じパターンである。中州や湿地に取り残された人々を救出するために、何度もヘリコプターが出動したが、中には「このロバを置いてはいけない」とヘリに乗るのを拒んだ人もいるという。浸水した地域にはワニが上がってきて襲われる危険性も出てきた。
 
 このたびの洪水で家を失い避難民になった人は約6万人と公表されている。
家を失った人々はガリッサ周辺にある小学校や高校などの校舎や校庭で避難所生活を始めた。
ミコノでも被害が出始めた日から、家財道具を運び出す避難民のためにトラックを出し、避難所でテントを張るためのビニールシートの配布などを行った。

 年が明けてから降雨は収まったが、避難所になっている各学校を再開するためには避難民を移動しなければいけない。ケニア政府としては再び被害にあわないように川の付近に住んでいた住人に元の場所へ戻ることを許さなかった。
その代わりに川から離れたブッシュ地帯を切り開き、各家庭ごとに土地を割り当て新しい町を建設する政策を打ち出した。
 
 ミコノでは避難所から新しい移住地への人と家財道具の移動、移住地での水タンクの設置と水配給、パイプラインの建設及びトイレ建設の支援を行った。今後この新しい町において小学校、診療所などの建築支援が必要と予想される。

 雨が少なければ家畜を失い、多ければ家を失う、これほどまでに自然条件に左右されたこの地域の生活基盤のもろさを痛感した。
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     ガリッサ洪水対策支援

             
 
 














































































































  
何もない避難所での生活