井戸掘り


水は命の源・川での水汲みは女と子どもの仕事・川には怖いワニがいる・
きれいな水が飲みたい・安全に水を汲みたい

天理大学自治会の支援で井戸が2004年10月に完成


デッレ村 井戸掘りレポート

                                                    2004年10月28日

                                        浜田義弘

はじめに

デッレ村はガリッサからタナ川上流に向かって約40キロほどの場所に位置する小さな村である。村の中心の世帯数は20世帯ほどだが、その周辺に家畜移動させながら生活している遊牧民が住んでいる(その数は村のチーフも把握していないが村の人口の数倍らしい)。村に定住する住民も、主に家畜と木炭作りによって生計を立てており、生活用水は村の中心から約350m程離れたタナ川の水を汲んできて利用している。

この辺りでは(どこの村でも大抵そうなのだが)水運びは女性や子供の仕事であり、朝昼夕と最低3回・1日合計約120リットルの水をプラスチック容器に入れて、村まで足で蹴って転がしながらその水を運ぶ。

また川の水汲み場は高さ2m程の土手になっており、人々は一度土手から降りて川から汲み、そして水の入った容器を土手の上に上げて、そのあと自分もよじ登って水を帰らなければならない。水運びも大変だがこれも結構大変そうだった。

 川での水汲みは普段の場合、川に生息するワニさえ気をつけておけば問題はないが(これはこれで怖い話だが)、雨季などに川の水が増水した場合は流れが激しくなり、水汲み場の周辺も土手が崩れやすくなる。危険回避のためこの時期になると川の水ではなく、近くにできた水溜りの水を飲料水や生活用水にする場合がある。その水溜りは当然家畜も利用するため水質も悪く、時には伝染病が発生する恐れもある。

 この村の人々にとって、自分たちの井戸を持つことが長い間の悲願であった。じつはこの村には10年ほど前にヨーロッパ系のNGOによって作られた井戸があったのだが、この井戸は当時から水量も少なく、また川の近くであったため97年の大洪水によって井戸の内部にまで泥で埋まってしまい、使用不能となってしまったらしい。しかも設置したNGOも現在は撤退してしまっているため、その後修理もできず今もその井戸の残骸だけが今も放置されている。

私達はデッレ村の村長と村の長老達の強い要望にこたえるべく、この村で井戸掘りを始めた。

「運がいい」

 私達が最初におこなったのは、井戸の場所きめだった。村の村長と私達はそれぞれ意見交換をしながら、井戸の場所を検討した。川のすぐそばに井戸を掘れば当然水は出る。しかし、川に近いと増水した際に流される危険もある。また川から離れた村の近く掘れば、それだけ村の人にとっては便利だが、水が出る可能性は当然低くなってしまう。しかもこの辺りの土壌には塩分を多く含んだ層があり、場所によっては塩水がでる可能性もあった。

 そんなジレンマのなかで出た私達の結論は、村の人にどこに井戸が欲しいか3箇所決めさせることだった。ただし、「村のそばに一箇所、川のそばに1箇所、そしてその中間に1箇所」という条件をつけた。当然第一希望は村の近くなのだが、最初に掘り始めたのは中間に位置する「第2希望」の場所だった。そこでもし水が出れば(しかもちゃんと飲める水)、今度は村の近くを掘り、出なければ川のそばを掘る…といったシンプルな計画でこの井戸掘りは始まった。ボーリングの機材も地質のデータもないこんな場所での勘を頼りにした井戸掘りは所詮博打と変わらないのかもしれない。気軽な気持ちで中間付近の井戸掘りを始めて一週間後、現地に残していた穴掘り職人(穴を掘るだけなので「職人」というのはオーバーだが、手掘りで真っ直ぐに、しかも深い穴を掘るのは素人には難しい)から水が出たとの知らせを受けた。深さは約6メートル。私達はためらわず第1希望である村の近くを掘るように彼らに伝えた。それから1週間後の9月半ば今度はその場所から水が出たとの連絡を受けた。深さは8メートル弱。まずまずの深さだった。この村は運がいい。


試行錯誤の毎日

 井戸掘り作業初期における最大の敵は雨である。一度の大雨でせっかく掘った穴が完全に埋まってしまう恐れがあるからだ。また、仮に崩れなくても地盤が緩み、その後の作業が困難になってしまう場合もある。

 ケニアでは日本のような「四季」というものはなく、乾季と雨季に分かれる。雨季は年間2回あり4月〜5月と10月〜11月が雨季の時期にあたる。しかし、早いときは9月の終わりぐらいから雨が降り始める。

今回水が出たのは9月の半ば過ぎなのでいつ雨が降り始めてもおかしくなかった。作業は急ピッチで進めなければならなかった。私たちが進めていた井戸は、直径約1.2メートル程の円形の穴をひたすら水の湧き出るレベルまで掘り、そのあとでカルバートと呼ばれるコンクリート製の筒(土管?)を入れて、最後に蓋をしてそのうえに手動ポンプを設置するというものだった。打ち込み式と呼ばれるパイプを直接地面に打ち込んでいくタイプより多少手間がかかるがカルバートの内部に水が溜まるので、常にある程度の水量を確保できるという利点があった。

 現場監督であり、ミコノ・インターナショナルの所長である土方氏が出張のため不在だったが、雨への不安があった私は、土方氏と電話連絡をしながらカルバートの設置作業を始めた。しかし私と2人の現地人作業員にとってこの作業は全く初めての経験であり、作業は予想以上に困難なものだった。まず、一個150キロほどあるカルバートを地下8メートルまで降ろし(もちろんクレーン車はない)、今度は地下水を水中ポンプでかい出しながら、穴をさらに深く掘り下げる。カルバートの直径は約90センチ。この中に作業員が入り少しずつ底を掘りながらカルバート自体を下げていき、そして次のカルバートをその上にのせるように置いていく…地道な作業が続いた。深く進めば進むほど水の量が増えるので、作業のペースは落ちていく。ときには積みあがったカルバートが大きく傾いてしまったため、せっかく苦労して降ろしたカルバートを今度は地上まで引き上げなければならないということもあった。

 設置作業をはじめて4日後、ようやくカルバートを水の湧き出しているレベルから1.2メートル下まで降ろすことが出来た。さらに、深く掘り下げたことによって今まで以上に太い水脈に達することができ、それまでは穴の側面から湧き出していた少量の水が、今度は穴の真下から大量に湧き出すようになった。水量は常時200リットル。ハンドポンプ設置後もおそらく枯れることはないだろう。私達は村人共に喜んだ。



村人たちの思い

通常カルバートの周りを埋め戻す際、井戸内への土や泥の流入を防ぐために砂利を利用する。今回はそこに更なる水質の浄化のため、大量の木炭を投入した。木炭はこの村の人たちが集めてきてものだった。これには私自身少し驚いた。この地域にとって炭は家畜と同じように、貴重な収入源のひとつである。その炭を惜しげもなく(多少あったかもしれないが)、穴の中にいれたのである。

 日本では昔とくらべ炭の需要が減少し、現在では水質の浄化作用や消臭効果、またはリラックス効果などを目的に木炭を利用した商品などが出回っているが、この村の人々にとっては炭はあくまでも調理用の燃料である。それ以外の利用方法など知る者は1人もいなかった。「水質浄化のためにも炭を入れたらどうか?」と勧めたのは私だったが、まさかほんとに受け入れらるとは思ってもいなかった。きっと彼らの井戸への思いの表れだろう。

もちろん、あとで炭の代金を要求されるといったこともなかった。

初めての井戸水

その後、作業は順調に進み1024日には手動ポンプも設置され、現在は村の人が各自で井戸水を利用している。しかし村人が始めて井戸水と接したのはもう少し前になる。前述したがカルバートを降ろしながら、さらに穴を掘り下げる作業をする際、作業を始めるまえに電動ポンプを使って中の水をある程度抜かなければならない。作業中ポンプから排出される水は濁っているが、作業前の水は当然澄んでいる。この澄んだ水を目当てに毎日大勢の村人が現場に集まってきた。

「うまい!まるで雨水だ」

「この水で体をあらうと、肌がしっとりする!」

井戸水を汲みながら皆口々にそういうことを言った。「肌がしっとり…」というのはよくわからないが、普段利用している褐色のタナ川の水よりはうまいのは確かだろう。村の女性たちは、持ってきた20リットルのプラスチック容器数本に自分達の生活用水を確保すると、今度はポンプの排出口のそばに自分達の子供連れていき、子供たちを洗い始めた。子供を洗い終わると今度は衣類を洗い始める。衣類が終ると今度は食器…。

「まったく女はいつもこれだ」

そんな女性たちの逞しい姿を見ながら、村の男達は苦笑いをしてそういっていたが、私とってはとても新鮮で微笑ましい光景だった。


作業を終えて

今回井戸掘り作業中に、ポンプで地下水を汲み上げていると

「せっかく水が出たのに、そんなに汲み上げたら水が枯れてしまうのではないか!」

と心配して訴えてきた老人がいた。

私は笑いながら老人をなだめ、この水は簡単に枯れたりしないことを説明したが、川の水以外には雨季にできる水溜りの水しか知らないこの地域の人にとって、いくら汲んでもなくならない直径1メートルほどの広さの水たまり(井戸の水)が、ものすごく不思議に思えてしまうのも無理はなかった。

 井戸の水というものは絶対枯れないというものではないのかもしれないが、少なくともここの場合は心配すべき点は、水よりもポンプだろう。利用頻度が高ければ高いほど、ポンプの疲労も大きく寿命も短いと思う。初めに触れたとおり、以前この村には井戸があったが結局今は使われていない。この井戸の場合は洪水が原因で井戸そのものがだめになってしまったらしいが、他の村に設置された井戸などでは、ポンプの故障が原因で使われなくなってしまった井戸もあるようだ。村のコミュニティーにメンテナンスを任せることが出来ればいいのだが、小さな村ではちょっとしたパーツ代ですら大きな負担になってしまい結局使われなくなってしまう場合がある。

 デッレ村の人々は今まで井戸はなく川の水を利用して生きてきた。もし仮に今ポンプが壊れ、そして私たちが修理を行なわなければ、彼らは再び川の水を利用する生活の戻るだろう。しかし、長く利用されるのしたがいこの井戸が彼らにとって本当の大切なものとなっていけば、そのうち自分たちの力でそれを維持しようという気持ちが芽生えてくるのではないだろうか。たとえば、毎月少しずつお金を集め、いざというときに修理代に利用するとか…そうでなくても、壊れたときには自分達でその修理代を集めるというぐらいの自主性が生まれるのではないか。

井戸は人々長く利用されてこそその真価が生まれるものだと私は思う。長く利用してもらうには設置したわれわれも、ある程度の期間は責任をもって状況をチェックしたり、メンテナンスを行なわなければいけないだろう(「ある程度の期間」というのも曖昧な表現になってしまうが、最低でも34年ぐらいは必要だと思う)。

この村の現状を知る限り、一個の井戸で今すぐ変わっていくとは思えないが、あの大事な炭を井戸水の浄化のために投じた彼らである。近い将来間違いなくこの村は変わっていくだろう。





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